今回はちょっと個人的な意見も含みますが、聞いてください。
特に最近になって、「なんくるないさ」という言葉が広く沖縄県外の方にも知られるようになりましたが、ウチナーンチュのジンべえはこれを面と向かって言われると、 気持ちが悶々とする「場合が」あります。
それには、この言葉の本当の意味が伝わらずに浸透してしまっているという背景があります。
この記事を読むと次のようなことが分かります。
のんびりした 沖縄の県民性を表す言葉として気軽に使われている
「なんくるないさ」直訳すると、確かに「何とかなるさ」の意味なので、気楽な沖縄の県民性を表現する言葉として、そのままの意味で使われていると思います。
実はあまり「なんくるないさ」は使うことが少ない
全国に知られるようになる前から、この言葉の意味は知っていますが日常生活の中で使われることはほとんどありません。主に使うのは我々50代より下の世代は全くといっていいほど口にしないです。
強いて言うなら、普通の「なんとかなるさ」という会話で、年配の方が話してるのを聞くくらいです。
「あした私仕事だから、お父さん病院に送ってあげることできないよ。」
「ああ、なんくるないさ、バスで行くさ~」
って感じです。
使う方は全く悪気はないのは分かっていても言われると悶々となる
出張や単身赴任ではよくその地域のカウンターのある居酒屋に独りで行ったりします。
ジンべえはあまり人見知りしない性格なので、よく隣に偶然座った方やお店のスタッフとお話しさせてもらうことが多いのですが、沖縄出身であることを伝えると、10人に3人くらいの高確率で(酔った勢いも手伝ってか)
「なんくるないさ~!」ウェーイ!
って感じで絡まれます(笑)。
その方に全く悪気はなく「沖縄いいよね~、のんびりしてて!」という意味で純粋に言ってくれてると思うんです。
。。が、これを言われるとなんだか、
うーん、そんなライトなノリの言葉じゃないんだけどね。。
と、心の中で思ってしまいます。
別にその方に対して怒りの感情がある訳じゃないのはここではっきり書いておきます。
わだかまりのある感情になってしまうのは、自分たちウチナーンチュにもちょっと責任があんじゃないかなと思うからです。
その理由を書いていきます。
「なんくるないさ」が誤った意味で広まった理由
沖縄の人自身が本来の意味を知らないこと
年配の方が会話の一部として使う場合は、単に「なんとかなるさ」という部分で言っているだけですが、沖縄県民のイメージという意味合いまで膨らませた場合は、ちょっと意味が違ってきます。
この違いを意識しない沖縄出身者も多く、一緒くたに使っていることが間違って広まってしまった最大の原因じゃないかと、ジンべえは思っています。
語感と使い勝手の良さ
一言でそのイメージを表現でき、県外の方にとっても耳障りがいいので、「使いたくなる」フレーズなんだと思います。
「〇〇〇サ~」っていかにも沖縄の人が使いそうな言い回しですしね。
テレビなどでも、沖縄出身のタレントさんがこの言葉を使って笑いをとったりするシーンもよく見かけます。残念ながら、誤解を受ける表現や印象になってしまっているのは否めません。(本人たちは分かってて使ってるのかもしれませんが)
「なんくるないさ」の本当の意味
本当の意味を知れば、これまで使っていた「なんくるないさ」がクガニクトゥバ級の素敵な言葉に思えてくると思います。
クガニクトゥバとは、沖縄で言い継がれているたくさんの名言(黄金言葉)のこと。
「なんくるないさ」の本当の意味は、まったく逆
ここまで引っ張ってしまいました。
この言葉は、本当の意味の前半部分が切り捨てられて後半の語感のいい部分だけが独り歩きしてしまって、そのまま広まってしまっているのです。
「なんくるないさ」の本当の意味は、
「誠(マクトゥ)そーけー、なんくるないさ」だよ!
この言葉の本当の意味は、「誠を尽くして正しい行いをすれば」なんとかなるさという意味なんです。
そう、ただボーッと過ごしてたらどうにかなるさ、というお気楽な意味とはほとんど正反対なんです。
まぁ、確かに、沖縄の人ってノンカー(のんびりやさん)が多いのは事実ですけど(笑)。
まとめ
いかがでしょう。
いままで思っていた「なんくるないさ」とはかなり違った印象を受けませんか?
なんでもかんでも「なんくるないさ~」を乱発せずに、ここぞというところで大切に使っていきたい言葉だと思いませんか。
こんな素敵な言葉をウチナーンチュ自信がちゃんと理解していなくてそのまま広がってしまったということが歯がゆく感じてしまうのが、ジンべえが悶々となる原因でした。
この記事を通して、この素敵な言葉が世の中に知ってもらえますように。